《衝動/Impulse》

2003年2月12日
 …何にしろ、始めるときってのは勢いというのは大事だよねっ!
 
 この日記の内容は、基本的に知っている人は知っている、知らない人は置いてけぼり方面でいきますが、判んない話でもそれなりに読んでみる気持ちが大事ですね。

●今日のMTG話(と、云える話なのか?) 

 某沖縄県産サイト(知らない人は置いてけぼりですよ!)を読んでいるとよくリーダー山内だのチーム山内だのいう言葉を見ると思うのですが、沖縄県民ならまだしも県外の方(噂によると意外にいるらしいです)には誰のことやらさっぱりなこと夥しい。そこで今回はチーム山内とリーダー山内氏について少し。
 まず最初に断っておきたいのは、チーム山内という団体は今は既に存在していないということ。
 かつて存在した、というのが正しい。ではいつからいつまで在ったのか?
 結成時期はストロングホールドがでていた頃だから1998年の夏だったと思う。
 ちょうどチームデッドガイなんかが話題になっていたころで、テストプレイグループの重要性なんかが一般に認識され始めた頃です。
 しかし当時県内中部のゲーセンを根城にしていた面子7〜8人くらいで何とはなしに適当爆発で組まれたわけですから、活動らしい活動といえば週一で集まってフリープレイやらドラフトをするだけだったりしたのですが、それはそれで今でもまあ充分役に立っています。
 意見交換できるチームメイトがいる状況というのはマジックの地力をあげる上で非常に有効でしたから。
 …もっとも、結成理由はチームとか言ってた方がなんとなく面白そうだったから、以外の何者でもないのですが。
 そんな面白そうなだけという理由で、祭り上げられたのが件の山内氏である。
 当時からイカr…ユニークだった氏を広く大衆にアピールするために、大会に出てはチーム名を名乗り、会場では氏をリーダー呼ばわり(当時は会場以外でリーダーと呼ぶ事は無かった)。
 周りの僕らとしてはギャグでそう言っていたのだが、山内氏、

 まんざらでもない様子。

 挙句、僕らの地道な活動が実ってか、ある大会で、まるで知らない人に、
 
 「…ああ、噂のリーダーさんですね?」

 と呼ばれる始末。与太話から始まったにしてはすごい浸透を見せ、最早本名の方が分からない人が多い、ということになってしまいました。
 とはいえ始まりがあれば終わりもあるわけで、結成当初から、リーダーが大会で優勝したら解散、と決めていたので、確か2000年に3on3の大会でリーダーが優勝したのを期に解散しました。
 そろそろネタ的に飽きてたというわけでは「決して」無いです。
 以後、僕なんかは「元」チーム山内の人間になったのですけれど、リーダーは何故か未だにリーダーと呼ばれているわけです。
 一応僕は親しみと愛をこめて呼んでいるんですが、なかには嫌がらせ気味な人もいるかもしれません。
 
 さて、ここまで読んでもチーム山内についてさっぱり分からないというあなた、

 正解です。

 だって僕も未だに良く分かんないし。
 
 …すいません、見切り発車で書いてしまいました。人の説明ってむずかしいですね。

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